2011年06月05日

福島県土壌汚染調査ボランティアオリエンテーション(6月2日)

すずらんの成川です。

今回はすずらんが協力している福島県土壌汚染調査
ボランティアの活動のご紹介です。

この活動は、阪大の核物理研究センター(RCNP)が呼びかけて、
文部科学省を動かして始まったもので、福島県の原発避難者に対し、
キメの細かい対応をするために必要なデータ収集を行うというもので
、福島県のみならず、国家として非常に重要なプロジェクトです。

このプロジェクトにすずらんは汚染土壌のガンマ線エネルギースペクトル測定をする
ボランティア学生の募集を行い、ボランティア人員の供給という形で、
RCNPに協力し本件プロジェクトに関わっています。

今回は、この土壌汚染調査の学生向けオリエンテーションがRCNPにより
開催されたため、すずらんの塩田くんと成川で行ってきました。

冒頭、RCNPの坂口先生から簡単な挨拶があった後、RCNPの青井先生により
本件プロジェクトの詳細が発表されました。

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青井先生のお話を簡単にまとめますと、

1.土壌汚染調査の目的

 最大の目的は「住民はいつ帰れるのか、どうすれば帰れるのか」を知ること。
 この目的のために、
 
 ・早急にキメの細かい住民への対応を図るために必要な土壌中の放射性元素の
  沈着状況(種類と量)を知る
 
 ・どの地域を、どれくらいの深さで土壌改良を行えば住民が安心して住めるように
  なるのかを調査する
 
 ・これまでの被ばく線量を知る

2.調査内容

・支援拠点
 阪大核物理研究センター(発起人)、東大原子核科学研究センター

・土壌サンプリング箇所
 福島第一原発周辺地域の沿岸部100km、内陸部60kmを2km×2kmのメッシュで
 区切り、深さ5-15cmで土壌をサンプリング

・サンプリング日時
 6月4日よりサンプリング部隊がサンプリング開始

・作業内容
 ガンマ線のエネルギースペクトルを測定し、放射性物質の種類を同定する

これらに加え、放射線についての簡単な説明と測定に当たっての
注意事項がありました。

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青井先生の説明のあと、一行は実際に線量計測する実験室に向かいました。

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この実験室では、すでに試験的にサンプリングした土壌の線量測定を行っており、
実際の実験器具をみることができました。

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写真はGe検出器です。手前のほうの黒いブロックは鉛の遮蔽材です。
1ブロック12キロもあるんです。触りたかったのですが、鉛はなめると危険
だそうです。

奥の筒になった部分に液体窒素を入れます。Ge検出器は
液体窒素で-200℃近くに冷やさないと測定できないため、
今回の計測で一番安全上注意が必要なのがこの液体窒素の扱いです。
気化時に1000倍近くの体積膨張が起こるので、換気をしていないと
窒息するとのことでした。窓を開けていればまず問題ないということです。

本件ボランティアに応募した学生からも、放射線影響を心配する声が
いくつも聞かれましたが、ご安心ください。
そもそもサンプルする土壌は福島県の方が住んでいるところから採取
するものですし、サンプル量も一つコップ一杯程度です。
内部被ばくについても、プラスチック容器の上にさらにビニール袋を
被せているので、体内に取り込む危険性はまずありません。

オリエンテーションは1時間30分で終わりましたが、その後なぜか
RCNP自慢の加速器見学に付き合わされてしまいました。

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今回のボランティアと何も関係はなかったのですが、1時間もたっぷりと
加速器を堪能してきました。
加速器の説明をする先生方の目は子供のように輝いていました。

以上で福島県土壌汚染調査ボランティアオリエンテーションの活動報告とさせて
頂きます。

posted by ou.savejapan at 01:40| Comment(1) | 福島支援プロジェクト

2011年06月01日

新潟県での活動(5月28日〜5月29日)

すずらん代表の成川です。

5月28日〜29日の土日に、新潟県に行き、災害ボランティア活動をしてきました。

27日金曜日の夜に夜行バスで難波を発ち、新潟に向かったのですが、毎週末
夜行バスで被災地に通っていると慣れてくるもので、
12時間の行程もあっという間です。

28日土曜日
JR長岡駅でNVNADの渥美先生と関西学院大学の関ゼミ3年生十数人と合流し、
新潟県小千谷市塩谷に向かいました。途中、小千谷市の三洋社員寮で避難生活を
送る福島県南相馬市の避難者4名と合流しました。

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塩谷は山中に浮かぶ棚田が映える非常に美しい場所でした。
しかし、山の斜面には山肌がむき出しとなった部分がところどころに見られ、
2004年の中越地震の影響が見て取れます。
塩谷は当時の震災により、隣村の山古志村に匹敵する深刻な被害を受け、
集落は一時孤立状態になりました。幼い3名の命も奪われました。

今回すずらんがこの塩谷に来たのは、
中越地震から今年で7年目を迎える復興途中の塩谷を訪れ、
その被災者たちと交流することで、今後の野田村などでのすずらんの
復興支援活動に生かせる情報を得ようというのがその目的です。

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あやパンや高橋マヤがお忍びで田植えに来るといわれる田んぼで田植えをしたり、

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地元の山菜やおいしい地酒を味わいつつ、地元の方々と交流したり、
楽しい時間を過ごさせて頂きました。

塩谷はその中越地震後、より安全な住環境を求め、
49世帯中29世帯が塩谷集落を離れました。
小さな集落にとって、村の大半が去っていくという非常に厳しい状況でしたが、
外部からのボランティアの支援によってこうやって7年経った今も、
塩谷の住民とボランティアとがわいわいと田植えをしたり、
お酒を楽しむことができています。

3.11の東日本大震災においても、東北地方沿岸部を中心に多くの集落がより安全な高台への移転を余儀なくされていると思います。そこには移転するものと残ったものとの葛藤も生じるでしょう。その時に、私たちボランティアが仲介し、よりよい地域コミュニティづくりに貢献することが非常に大事だと、今回の塩谷での活動で学びました。

29日日曜日
翌日は朝から小千谷市の三洋半導体製造株式会社と越後製菓株式会社の社員寮を回り、そこで避難生活を送られている福島県南相馬市からの避難者にお話を伺いました。

そこでは、原発からの避難が本当に一刻を争う事態で、まさに着るもの以外何も持たずに避難してきた状況であること、そんな極限状態の中で、小千谷市の避難者受け入れ体制が素晴らしく、涙した避難者もいること、まだ帰宅できる見通しも立たない非常に厳しい状況の中、相馬野馬追という南相馬の伝統祭りが開催されるなど、復興へむけ動き出していることなどを伺うことができました。
また、体育館などの集団生活を行う避難所と違い、社員寮などのプライベートスペースでの避難生活においては、いかに避難者同士のコミュニティを活発化するかが重要になることが分かりました。一人で閉じこもり、震災のストレスをため込まないようにするためにも、ボランティアが被災者に寄り添って、被災者通しのコミュニティを円滑にする役割をしてあげる必要があると分かりました。
ただ炊き出しを行う、ただ物資支援をするだけの単発の支援が求められているのではなく、被災者に寄り添い、被災者と気心を知れあったうえでの活動が真に必要とされているのだと分かりました。

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午後からは、刈羽郡刈羽村の福祉施設で避難生活を送る福島県からの避難者を訪問し、ピザの炊き出しを行いました。初めて会う私たちを大変好意的に出迎えて頂き、本当に楽しい時間を過ごさせて頂きました。

ここで避難生活をされている方はみな、福島第一原発のすぐそばに
お住まいであった方々です。
津波で家を失った方、原発災害で地元の高校の野球部を離れざるを得なくなった方、それぞれが本当に大変な状況の中で避難生活を送られているのに、それでも皆さん明るかった。

「泣いて過ごすのも一生、笑って過ごすのも一生、どうせ生きるなら笑って過ごしたい」

とおっしゃったピザの先生の言葉は本当に嬉しかったです。
本当に辛いと思います。だけど希望だけは捨てないで、前を向き続けて欲しい。
そのために、私たちボランティアはできる限りのことをしていきます。

夕方、今度はすずらんが粉ものをふるまうという約束をして、
その避難所を発ちました。

すずらんは、今回出会ったすべての被災者と、今後とも交流していきます。

-被災者と心の通った支援-

これがすずらんのすべき災害ボランティア活動の基本だと、
再認識した新潟県での活動でした。





posted by ou.savejapan at 01:36| Comment(0) | 福島支援プロジェクト